フランスで都市郊外の若者による暴動が発生した際に、政界では暴徒らの親の責任を問う意見があらためて強まったが、ルモンド紙は、都市郊外の若者の親たちも決して保護者としての責任を放棄しているわけではないと擁護するルポルタージュを掲載した。同紙は良心的なリベラル系新聞だから、善意で取材したに違いないが、そこで紹介されている親たちの発言を読むと、自分の子供が警察に捕まるのではないかと心配するだけで、そもそも十代の若者が夜間に外をうろつく異常な状況に疑問も反省もなく、「子どもの躾け」という概念が完全に欠落していることが分かる。子どもに規律やモラルや価値観を教え込むのは親の役割だという意識が極めて薄く、自分は仕事に追われて余裕がないので、子どものしたいようにさせておくほかないし、そもそも子どもは親の言うことなど聞かないものだ、ということが前提になってしまっている。また母子家庭で、生活が苦しいというわりに、子どもの数が5人とか6人とかのケースが多く、この人たちはフランスのような国で子ども1人をまともに育てるためにいったいどのぐらいのコストがかかるのか、子どもを作る前に計算していないのかと呆れる。力のこもったルポルタージュの読後感は、残念ながら「これはやはり 親の無責任さにもかなり責任があるな」だった。。。ここでは、いわゆる「エリートの再生産」と真逆のシナリオが演じられている。もちろん、どの家でも子育てがたいへんなことはよく分かるし、子どものいない筆者が偉そうなことを言う資格は全くないが、あえて言わせてもらえば、フランスの未来を築く子どもを生むならやはりもう少ししっかりした覚悟を持っていただきたいものだ。