フランス的「ワーク・ライフ・バランス」とは?

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

フランスの法定労働時間は週35時間と他の先進国と比べて比較的短いが、労働生産性レベルは世界第2位である。仕事は集中して早めに切り上げ、プライベートライフを充実させる、海外からも大きな注目が集まるフランス的「ワーク・ライフ・バランス」はどのようにして確立されたのか。昨今話題になっている「フレキシブルワークスタイル」の変移を通して考えてみたい。

2017年5月、エマニュエル・マクロン氏が歴代最年少の39歳でフランス大統領に選出された。なかなか解決されない失業問題や、テロなどの治安問題で憂鬱(ゆううつ)な雰囲気が続くフランスで、若くダイナミックなマクロン氏は若年層を中心に多く支持を集め、左右二大政党を軸とする硬直したフランス政界に新風を吹き込んだ。

このマクロン氏の政策キーワードは総じて「柔軟性」である。2014年に36歳という年齢で経済・産業・デジタル大臣に就任した翌年、“聖なる休息の日”として伝統的に商店の営業が認められていなかった日曜日の営業を可能にする「経済の機会均等・経済活動・成長のための法律」(通称「マクロン法」)を成立させ、歴史的大転換とまで言われた。フランスは従来から、高い労働コストや労働市場の硬直性が企業の競争力を低下させ、雇用創出の機会を奪っているとの批判にさらされており「より柔軟な労働市場へ向けた改革」の必要性が強調されてきた。こうした中、マクロン政権は発足後間もなく、労働法典改革の基本方針を発表し、労働組合との具体的な協議など改革に向けた作業を開始した。ミュリエル・ペニコー労働大臣は発表の際に「テレワーク」などに代表される「フレキシブルワークスタイル」についても触れ、法的枠組み整備が早急に必要であることを強調した。

「テレワーク」は、2012年に関連事項が労働法典に加えられたことをきっかけに、大企業では企業内合意が締結されるなどして導入が加速した。しかし現実には、非公式に導入しているケースが非常に多いという。つまりは、企業内あるいは職場で内々で取り決めたルールにのっとって非公式に導入されているケースである。デジタル技術の進化に伴い、急速に変化する新しい仕事の在り方に法的整備が追い付いていないことがうかがえる。適切な法的枠組みが整えられれば、フレキシブルワークが今以上に浸透することは間違いない。

一方、テレワーク普及を阻む要因として、“プレザンテイスム(présentéisme)”と呼ばれるフランス独自のメンタリティーが挙げられる。これは例えば、多少体調が悪くても会社に出勤して必要以上に長時間職場にいることが評価されるような習慣や考えであり、職場に姿がない従業員は働いていない、もしくはサボっていると見なされる、いわば文化的または社会的な要素である。とはいえ、ワークシェアリングの観点から失業対策として1998年に週35時間制が導入されて以来、プライベートの充実を重視する傾向が強まり「ワーク・ライフ・バランス」についての意識も高まっている。少しずつではあるもののメンタリティーは変化しつつあり、職場にいなくても仕事ができるテレワーク普及の原動力となっている。

テレワークやワークシェアといったフレキシブルな新しい働き方が社会に浸透し始めた背景に、インターネットやモバイル技術の発展があるのは言うまでもない。高等教育を受ける国民が増加し、女性の労働市場参入がとりわけ活発になったことに加え、第3次産業がますます伸長(全労働人口の76%が第3次産業に従事)し、労働のデジタル化が可能になった。また、プレゼンスよりも成果が評価される成果主義への移行が訴えられた時期とも重なる。

2008年の世界金融危機も忘れてはならない事柄の一つだろう。危機を境に多くの企業が経費節約のため本部や事業所の一部を郊外や地方に移転するなどしたが、通勤時間が増えた従業員たちの離職を抑止するためにテレワーク導入が推奨された。加えて、翌2009年にはフランス国内でインフルエンザが流行し、緊急的措置として従業員が期間限定で自宅作業をすることを許可した企業などがあるが、これが後に本格的なテレワーク導入につながったケースなどもある。最近では、2016年冬の大気汚染問題がある。過去10年で最悪となった大気汚染に対応するため、政府は行政決定を発効して交通規制を敷いた。自動車で通勤していた従業員らは足止めをくらい、自宅で仕事をする従業員や、利用者で溢れるパリのコワークスペースの様子がニュースでも大きく取り上げられた。これをビジネスチャンスと捉えたか、2017年の春には米国のコワークスペースの大手「WeWork」がパリのラファイエット通りに1万2000平方メートルもの巨大なスペースを確保して市場参入を決定した。

そして「ワーク・ライフ・バランス」の重要性を決定付けた事柄として、最も記憶に鮮明に残るのはフランス中を震撼(しんかん)させたフランスの通信大手会社を巡る事件だろう。当時国営の独占企業であった同社では、民営化に伴って大々的な合理化が進められ、経営陣と従業員たちとのはざまでストレスが極限にまで達した中間管理職など、多数の従業員が自殺した。この事件をきっかけに「職場での健康と安全」「ワーク・ライフ・バランス」「労働者が人間として尊重される権利」といった議論が白熱した。

その後、社名を改めたこの通信会社は、これを教訓に抜本的な改革を推し進めた。現在は「93%の従業員が自社の社員であることを誇りに思っている」、また「87%の従業員が自社を労働環境の良い企業として推薦する」という従業員アンケート結果*が出るなど、フランスを代表する優良企業の1社に生まれ変わった。同社はまず、人事課内部に「職場における健康・安全・クオリティーライフ」部門を設置し、独立した立場でさまざまな改善策を導入した。従業員からリクエストが多く、労働環境改善には必須と判断されたテレワークの導入も決めた。「週2回は出社する」というルールの下、現在は約7,000人が定期的にテレワークを行っており、必要に応じてテレワークを行っている従業員も5,000人以上となった。テレワークの場所は自宅が最も多く、次が市街に点在するコワークスペースである。生産性向上やコスト削減につながったのはもちろんのこと、従業員の労働環境向上に貢献していることが最大の成果といえるだろう。

1975年以降に浮上し、時代ごとに議論がなされてきた「労働者が人間として尊重される権利」は、2013年に「労働生活の質(QWL:Quality of Working Life)と職業上の平等の向上」に関する業界間全国労使合意として結実した。これは、労働者が権利を長年訴え続けてきた努力の結果であり「雇用の質」と「仕事における充足感」を通じて初めて「企業のパフォーマンスの向上」が実現されるべきであるという考え方に基づいている。「ワーク・ライフ・バランス」と「企業のパフォーマンスの向上」の両立をたやすくこなしているように見受けられるフランスだが、それはさまざまな時代的背景と対面し、多くの試行錯誤や犠牲を払って勝ち得てきた英知の結晶なのかもしれない。

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* http://www.bipiz.org/recherche-avancee/apres-la-crise-de-2009-orange-investit-massivement-dans-le-bien-etre-de-ses-salaries.html

(初出:MUFG BizBuddy 2017年6月)