筆者がフランスにやってきた四半世紀前には(ほぼ)聞かなかったが、今やたらと聞くフランス語の言葉で、「デュク(du coup)」というものがある。昔、日本にいたときに見ていたフランス語レッスンのテレビ番組で講座を担当していた先生は、「フランス人はなにかにつけてパルドン(pardon、「すみません」)と言います」と教えていたが、今の時代だったら「フランス人は一文の中に少なくとも2回以上はデュクと言います」と教えるに違いない。
もう10年近く前になるが、2017年のルフィガロ紙が「近頃巷にはびこる言葉」としてこのdu coupを取り上げ、「今晩は出かけないことになったけど、du coup何をしようか?」「彼はサラダを食べたくないらしいので、du coup豆を料理することにするわ」など、非常に様々な場面で使われると説明し、「これぞまさに『一撃必殺』の表現とも言うべく、この言葉の登場により、あらゆる副詞的接続詞や慣用句は木端微塵にされた」と嘆いている。要するに、「じゃあ(donc)」であるとか、「par conséquent(結果として)」であるとか、「de ce fait(そのため)」といった、原因・理由節に続く、より長い副詞表現がすべてdu coupに取って代わられてしまったわけである。こうした状況は10年後の今も変わっていない。筆者の隣人はフランス語教師のカップルで、二人とも大変綺麗なフランス語を話すが、その彼らですらデュクデュク言っている。
Coupというのは、「クーデター」の「クー」にあたる単語で、「一撃」というような意味を持ち(フィガロ紙記事の言う『一撃必殺』もここから来ている)、囲碁のようなゲームでは「一手、二手」というときの「手」にあたる言葉としても使われる。正しいフランス語の守護神であるフランス学士院によると、「du coup」という副詞句は本来、「男は彼を殴った。『du coup(その一撃で)』彼は気絶して倒れた」というような場面、つまり殴打、爆発のような突然の出来事によって、ほぼ同時に何らかの別の事態が発生する場面で用いられるのだそうであり、それ以外の用法は間違っているのだそうだ。筆者が本を書いた時も、出版社から「du coupだけは絶対に使うな」と厳しく言いつけられたものである。しかし、最近読んだ高校生を題材にした日本のマンガの仏訳では、主人公達が「du coup」を多用する。現実に近いことだから訳者を責めることはできないが、出版社としては難しい判断を強いられただろう。
さて、そんなdu coupにも思わぬ次元がある、と思わされたのは、しばらく前にこんなフランス空軍の宣伝(https://www.youtube.com/watch?v=n1Vt1ZU6Pjc)を見た時のことである。二人の若い男女が、恐らく共通の友人のパーティーで出会い、ビズで挨拶をする。頬を当てるタイミングがずれたりして、二人は苦笑する。初対面だが、お互い相手に悪くない印象を持ったようだ。女性が口を切る。「du coup、私はジュリア。あなたは?」「ユーゴー。はじめまして」。こうした「du coup」の用法は、確かに日常会話でよく聞く。別に何か原因・理由節を受けているわけはないが、それまでの挨拶で二人に何らかの暗黙の了解みたいなものが出来たことを受けているのだろうか。筆者の仏語力が足りないせいもあるかもしれないが、この場合、du coupが何の副詞的表現に取って代わっているのかがよく分からない。Du coupが現れる以前、こういう場合にどのようなやり取りが交わされていたのか、思い出せないのだ(何もつけずに「私はジュリア」と言っていたような気もするのだが…もしかしたら、もしかしたら視線であるとか身振りであるとか、言葉外の表現があったかもしれない)。ここでは、du coupはなんとなく場面転換のために使われている感じで、表現が独自の力を帯びた証左かもしれない。なお、宣伝は以下のように続く。ユーゴーが机の上に置いたスマホの待ち受け画面にはジャーマンシェパードの写真。「まあ、これはあなたのワンちゃん?」「うん、メイコっていう女の子なんだ。僕は犬訓練士をしているんだ。」「犬訓練士の一日ってどんな風なの?」「アクションが多くて、退屈しないよ。」「でワンちゃんも訓練を気に入っているの?」「うん。特にヘリコプターがね。」予想外の答えに、目が点になる女性であった。こんな驚愕のシーンだったら、学士院はdu coupの使用を許してくれるであろうか。