一般的にはあまり知られていないが、アフリカでは世界の紅茶の20%が生産されており、特にケニアは紅茶輸出で世界トップの紅茶大国だ。アジア諸国よりも1世紀遅れて茶生産が始まり、その後、世界の主要アクターに成長した、アフリカの茶産業について紹介する。
2026年2月末に勃発した中東紛争とホルムズ海峡の封鎖によって、石油ガス・石油製品を中心に世界の物流・経済に大きな影響が出ている。日本では石油の供給難を防ぐために石油備蓄が放出され、重要な産業材料であるナフサなどの石油製品を中東以外からの代替調達によって確保する道筋がつけられた。天然ガスが豊富な中東は窒素肥料の重要な生産拠点でもあり、中東情勢の悪化によって、肥料の原料となるアンモニアや尿素の供給にも混乱が起きている。また、輸送ルートが遮断されたことで、欧州・黒海地域とアジアを結ぶ物流が遅延し、小麦やトウモロコシなどの穀物取引にも影響が出ている。そのような中、アフリカ有数の茶葉生産国であるケニアからの茶葉輸出が滞っているという、意外な報道が目を引いた。
ケニア茶業開発機構(Kenya Tea Growers Association:KTDA)によると、ケニアの茶葉積出港であるモンバサ港では、中東紛争による海運の混乱と燃料費高騰が原因で茶葉の出荷が滞り、2026年4月末時点で約800万キログラムもの茶葉が足止めされているという。インド洋に面するモンバサで茶葉のオークションを運営する東アフリカ茶業流通協会(East African Tea Trade Association:EATTA)は、この少し前に、中東向けの輸出が混乱しているため、3月1日以降毎週800万ドルの損失が出ていると明らかにしていた。海運業者が中東地域を避けて希望峰経由の代替ルートを採用していることも輸送コストの大幅な上昇を招き、中東以外への輸出も滞る結果となっている。あまり知られていないが、ケニアは世界有数の茶葉生産国であり、紅茶の輸出量では世界最大級の紅茶大国なのだ。そして、全体の20~25%に相当する年間平均10万トンの茶葉を中東へ輸出している。
紅茶の産地といってすぐに思い浮かぶのは、アッサムティーやダージリンティーで有名なインド、そして、かつてセイロンと呼ばれていたスリランカなど、イギリスの旧植民地だったアジアの国々だ。世界の紅茶生産量は2022年に357万トンに上ったが、その35%以上がインドで生産されているから、「紅茶大国=インド」というイメージはあながち間違いではない。近年、生産量が減少傾向にあるとはいえ、スリランカの生産量は約25万トンであり、中国は45万トンを超える。しかし、意外にも、同年のアフリカの紅茶生産量は78万トンであり、世界の紅茶生産量の20%以上を占めるに至る。中でも主要生産国であるケニアの生産量は54万トンと大きく、インドに次ぐ有数の紅茶生産国となっている。生産される紅茶の大部分は輸出されるため、ケニアは世界最大の紅茶輸出国でもある(2位はスリランカ、3位はインド)*。アフリカではケニア以外に、ウガンダ、マラウイ、ルワンダ、タンザニア、ジンバブエ、ブルンジなどで茶葉が生産されている。
*« Current global market situation and medium-term outlook », FAO, 2024
アジア原産の茶がアフリカに持ち込まれたのは、アフリカが欧州諸国に植民地支配されていた19世紀末のことで、1878年に英国エジンバラにある王立植物園(Royal Botanic Garden Edinburgh)からマラウイに苗木が持ち込まれて植えられたのが、アフリカにおける茶栽培の始まりとされる。同国では他に先駆けて1880年より茶の販売が始まった。ケニアでも、1903年に英国人入植者がインドから茶の苗木を持ち込み、1924年に商業的な栽培が始まった。当時ドイツの植民地だったカメルーンでも1914年に肥沃な斜面に植えられたという。その成功を受けて、タンザニアでも1902年に茶の試植が行われ、1926年に商業的な栽培が始まった。英国が、中国への依存を削減するために自国の植民地であるインドで茶の栽培を本格化させようとしていたのが19世紀前半だから、アフリカで茶が栽培されるようになったのは、それから1世紀後ということになる。
こうして遅いスタートを切ったアフリカだが、1950年代以降、中国が国内需要の増加を受け、紅茶の輸出を減らしたことを背景に、世界の紅茶市場へと新たに参入する糸口をつかんだ。欧州の需要に応えるため、中国人やインド人の投資家がアフリカで茶園を開き、機械化を進めて生産性を向上させ、ユニリーバなどの大手企業に供給し始めた。
ケニアでは、アフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷でプレート境界の一つである大地溝帯(Great Rift Valley)を挟む標高1,500メートルから2,700メートルの高原地帯を中心に茶園が開かれ、豊富な太陽光と適度な降水量、肥沃な土壌に恵まれた土地で茶葉栽培が広まっていった。当初は大手資本によるプランテーション農業が中心だったが、1963年の独立と時期を合わせて、小規模農家向けの茶業振興機関としてケニア茶業開発会社(上述のKTDAの前身)が創設され、小農による茶栽培が促進された。KTDAは現在、民間農協組織の形をとり、ステークホルダーと呼ばれる全国の小規模契約農家から生葉を集荷して、71の製茶工場で茶葉を生産している。国内茶葉生産の約60%がKTDAを通じて行われているという。これとは別に、大規模茶園の保有企業をまとめる業界団体のケニア茶生産者協会(Kenya Tea Growers Association:KTGA)もある。ケニアは東アフリカの茶産業のハブであり、1956年に始まったモンバサのティーオークションには、ケニアを含め10カ国から茶葉が集まってくる。
アフリカ産紅茶の多くはCTC(Crush/Tear/Curl)製法によって作られている。CTC製法とは、CTCという揉捻機を用いて紅茶の葉を引き裂いて押しつぶし、細かくなった茶葉を丸くして小さな粒状にする製法で、ティーバッグの原料として多く使用されている。茶葉の形を残して作られるリーフタイプと茶葉の形をカットして作られるブロークンタイプの2種類があるオーソドックス製法との対比で、アンオーソドックス製法とも呼ばれる。CTC製法は、オーソドックス製法と工程の主な流れは変わらないが、機械を使用してベルトコンベヤーのラインに沿って製茶作業が進められるため、所要時間は短縮され、生産効率も高い。しかし、オーソドックス製法では葉の形を残しながら作るために、その茶葉独自の香りや味を楽しむことができるが、CTC製法では茶葉が細かく丸く形成されるため、産地や茶葉の違いは出にくい。
CTC製法が中心のアフリカ産紅茶は、ブレンド用に用いられることが多く、スリランカ産や中国産の紅茶と比べて安価で取引されている。アフリカ紅茶業界にとって、製品のグレードを上げつつ国際競争力を維持することが課題となっており、専門家らは、栽培から製茶、販売までのバリューチェーンを通じてトレーサビリティと品質を確保することが重要だと指摘する。アフリカ産紅茶は、その多くが無農薬栽培であり、機械を使わずに一芯二葉(新芽とその下の2枚の若葉)を丁寧に手で摘んでいるのが特徴である。CTC製法からオーソドックス製法への切り替えや製品のプレミアム化の動きもあり、タンザニアやケニア、ルワンダでは、雇用創出や農家の収入といった社会的側面にも配慮しつつ、地元の茶葉を用いた独自のブランドが立ち上げられている。また、紅茶と比べるとまだまだ少ないが、緑茶や白茶、ウーロン茶、プーアール茶などの生産量も増えつつある。
アフリカ産茶の多くは輸出されるが、アフリカの人々はよく茶を飲み、国や地域によって独特の茶文化がある。東アフリカのケニアやタンザニアでは、「チャイ(chai)」と呼ばれる濃厚なミルクティーがよく飲まれる。これは、鍋に水を入れて沸騰させ、茶葉と砂糖と牛乳を入れて一煮立ちさせたもので、茶葉を入れてしばらく煮だしてから砂糖と牛乳を入れる人もいる。水と牛乳は同量のため、濃厚なミルクティーが出来上がる。ケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民であるマサイの人たちもチャイをよく飲み、来客にも振る舞う習慣があるという。日本人が客に緑茶と菓子を出すのに似ている。
また、茶葉と一緒に、シナモンやショウガ、カルダモンなどさまざまなスパイスを混ぜ合わせたマサラを加えると、マサラティーが出来上がる。砂糖の代わりにハチミツを入れてもいい。ティーバッグの紅茶を使う場合でも、袋を破って中身の茶葉だけを鍋に入れるのがポイントだという。朝食やおやつには、「マンダジ」と呼ばれる伝統的なお菓子(揚げパンの一種)との組み合わせがポピュラーだ。
アフリカで紅茶の年間消費量が多いのは、エジプト(約8万トン)とモロッコ(6万~7万トン)で、同じ北アフリカのアルジェリアやチュニジア(1万~1万5000トン)と比べても格段に多い。エジプトでは、茶は「シャーイ」と呼ばれ、濃く入れた紅茶に砂糖をたくさん入れたものを、陶器のカップではなくグラスで飲むのが一般的だ。地域によってはミントやビーツを入れて飲むこともある。
一方、1人当たりの茶の消費量では、アフリカで首位なのはエジプトではなくモロッコである。モロッコでは、紅茶ではなく、英語圏でガンパウダーと呼ばれる中国緑茶(珠茶)を使ったミントティーが日常的に飲まれている。金属製のティーポットに茶葉と生のミント、砂糖を入れてお湯を注ぎ、数分間待って色と香りが出てきたら、ティーポットを高く持ち上げて上の方から泡を立たせながらグラスに茶を注ぐ。このモロッコのミントティーは、モーリタニア経由で西アフリカへ、そして遊牧民を通じてサヘル諸国に広まったといわれる。セネガルでは「アタヤ」と呼ばれ、茶葉を替えずに三番煎じまでそれぞれの味わいを楽しむのは、ベルベル系の遊牧民トゥアレグの伝統にもなっている。
モロッコで中国緑茶を使ったミントティーが普及した背景には、19世紀半ばのクリミア戦争(1853~1856年)がある。スラブ諸国への茶葉輸出の道を断たれた英国が、抱え込んだ在庫を、モロッコやアフリカ大陸内部を欧州と繋ぐ国際貿易港として栄えた大西洋岸のモガドール(現エッサウィラ)とタンジェ経由でモロッコに流した。すると、当時、ミントを煎じて飲んでいたモロッコの人々に大いに気に入られたのだという。中東紛争を背景に、モンバサ港で足止めになっているケニアの茶葉も、新たな輸出先を模索している。これまでにない茶の伝統が生み出されるきっかけになるだろうか。
(初出:MUFG BizBuddy 2026年6月)