筆者は、長い間翻訳を生業にしてきたが、その間に、誤訳したことはいくらでもある。いまだにAIでも誤訳は数多いので、短い文章や定型文みたいなものでなければ、誤訳のない翻訳はほとんどないと断言してもよいぐらいだと思う。誤訳が発生する理由は、原文の言語への理解不足や知識不足など、色々あるが、実は、日本語能力の不足である場合も結構多い。筆者の場合は、それらすべてのせいだろう。しかし、誤訳にも効用(?)がある場合もある。身近なケースでは、日本のサラダにりんごが入ってる場合があるのが誤訳によるものだというのがある。あれは、フランス語のじゃがいも(pomme de terre)とりんご(pomme)を取り違えたせいだ。本来はポテトサラダだったはずだったものが、りんごサラダになってしまったわけである。しかし、筆者は、りんごサラダにまったく違和感を感じない。あれはあれで、一つの料理として成立しているし、誤訳から生まれた『フランス料理』の一品と言えよう。
上の例は怪我の功名とでも言うべきものだが、洒落にならない場合もある。フランスで学生をやっていた頃、筆者には韓国人の友人(既婚者)がいたのだが、彼は、知り合いの女性達に「J’ai envie de toi」(君が欲しい)と時々言っていて、筆者は「こいつ、すごく大胆なやつ」と思っていた。しかし、その後、彼の持っていた仏韓辞書では「J’ai envie de toi」が、「君が羨ましい」と訳されていることを知って、「うーむ」と唸ってしまった。すべての仏韓辞書でそうなのかは確かめなかったが、これは結構罪が重い。ひょっとすると、一部のフランス人には、韓国人はえらく大胆と思われているかもしれない。まあ、それもある種の効用かもしれないが。同様のことは、日本の辞書でも起こり得ることであって、決して対岸の火事ではない。昨今は自動翻訳機もあるが、気をつけないと、とんでもない誤解をされている可能性は捨てきれない。特に、日本語化した外来語には注意が必要だ。日本語でナイーブと言うと、繊細なとかいう意味になるが、フランス語でナイーブ(naïve、naïfの女性形)というと、お人好し、ひいては、単純バカという意味になる。君はナイーブだねなどと、フランス人には言わない方がよい。