地方選挙狂騒曲

投稿日: カテゴリー: 大熊猫集団の井戸端会議

数週間前に、ある大都市の市長選挙に絡んで、友人に連れられて中道左派のA氏の政治集会に行った話を書いた(3月3日付1814号参照)。A氏は、3月15日の第1回投票を僅差の首位で通過した後、22日の決選投票において、中道右派のB氏(政治集会で出た食事が「結婚式かと見まがう」と友人が評していた候補である)、環境派所属の現職市長C氏(市政当初はC氏の党と組んでいたが、その後けんか別れしたという経緯がある)にかなりの差をつけ、当選した。全国的には、「環境派の退潮を示す兆候」と報道された。環境派現市政からクラブへの補助金を切られ市政の変化を願っていた友人は、親しい仲であるA氏の当選を喜んだ。
…というとA氏にとってすべてが順調に行ったようであるが、第1回投票から決選投票までの1週間には紆余曲折があり、なんとも複雑怪奇な時間だった。
第1回投票で10%以上を獲得した候補が決選投票に残るのだが、第1回投票が終わった時点ではA氏、B氏、現職市長C氏に加え、極左のD氏がいた。しかし、D氏はほかの3人に比べて8ポイント以上劣っており、当選の見込みがないと判断して、政治的に左派で最も近い現職C氏との協働、すなわち候補者リスト合併を決めた。このリスト合併は、第1回投票で5%以上を獲得した候補者に権利がある。つまり、10%未満で、決選投票に進めずとも、決選投票の結果を左右する力が与えられる、ということだ。こうした一人が、マクロン大統領派のE氏で、環境派同様に不振著しい大統領派を象徴するかのように第1回投票では5%強しか獲得できず、決選投票には進めなかった。E氏は決選投票を前に、中道左派のA氏と、中道右派のB氏の二人に同盟を提案した。ここで、B氏が独立独歩の方針を打ち出し、同盟を拒否したことから、E氏はA氏とリストを合併することになった。
さてそれがめでたしめでたし、とならなかったのは、A氏およびE氏の所属する政党がこの同盟にケチをつけたからである。A氏の所属する党の党首は、「E氏の所属する政党は右傾化を強めている。我々の党は、あくまで左派的価値を守るべきだ」といった内容のメッセージをXに投稿し、E氏との同盟を決めたA氏を真っ向から批判。もっとひどいのはE氏の所属する党で、「中道右派の候補を勝たせるべきだ」と主張して、公然とE氏を見はなし、E氏が手を組んだA氏ではなく、B氏支持を表明したのである。こうした状況を見て友人が一言。「私はこれまでの人生の中で、ずっと左に投票してきた。しかし、いまや右も左も開口一番セキュリティの重要性を強調するし、言うことは似通っていて、一体何が右で何が左か分からない。A氏はE氏との同盟に関して右だ左だと所属政党から色々横槍を入れられたが、正直国政レベルと地方レベルでは、そのあたりに大きな感覚のズレがある」。A氏の方は一時所属政党の公認を失う恐れも懸念されたが、なんとか党首と和解し、決選投票に漕ぎつけた。
そうした中で行われた22日の選挙。投票は20時に締め切られた。筆者は疲れていたので、21時頃、速報だけ見て寝ることにしたのだが、その時点では、現職C氏が圧倒的1位、2位B氏、3位A氏という出口調査が流れており、C氏とD氏の左派同盟が奏功したか、と思わされた。しかし、朝起きて結果を見ると、なんと、A氏がほかの2人に5ポイント以上の差をつけた圧勝だった。あろうことか、出口調査が完全に間違っていたのである。例によってA氏の集会に出席していた友人は、「絶望から歓喜の間を行ったり来たりする感情のローラーコースターのような夜だった」と語ってくれた。さて、無事当選が決まり、支持者皆に挨拶をして回ったA氏は、友人の顔をみるやいなや、「補助金復活させますからね!」とニヤリ笑ったそうであった。