ある日、シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』を読んでいて、かの「ブルータス、お前もか」は英語の原文でどういうのだろうか、という疑問を抱いた。原典にあたってみたところ、「Et tu, Brute?」と書かれていて驚愕した。なんと、これほど有名な台詞が、英語でなかったとは!
これは何語なのだろう。一瞬フランス語かと思ったが、それなら「Et toi」になるはずだし、それだとまるでシーザーが「で、ブルータス、君の昨晩の食事は?」と言いかけて倒れたようだしおかしいな、とこちらも調べてみたところラテン語であった。マンションやお店の名にフランス語を使うと強い印象を与える、と考える日本人同様、シェークスピアも「この決め台詞はやっぱりラテン語がインパクトあるだろ!」とかブツブツ言いながら書いたのだろうか。
さて、次にふと思ったのが、フランス人は「マクロンよ、お前もか」とか言ったりするのだろうか、ということなのだが、Wikipediaを見てみると、シーザーの今際の際の言葉として「Et tu, Brute?」というページはフランス語には存在しない。その代わり、「Tu quoque mi fili(息子よ、お前もか)」という言葉についてのページがある。これはスエトニウス著『皇帝伝』に出てくるのだそうで、シーザーは、一説には養子だったというブルータスに対し、当時のローマ貴族は皆幼少期に習ったであろう古代ギリシャ語で「息子よ、お前もか」を意味する「カイ・シウ・テクノン」と叫んだ、ということになっているが、それが時代と共にラテン語で「Tu quoque mi fili」と記されるようになり、そのバージョンが今でもフランスでも使われている、ということのようだ。現代のフランス人にとっては、ローマ時代のフランスを舞台にした人気バンド・デシネの『アステリックス』に出てくる言葉としての印象の方が強いのかもしれない。『アステリックス』に出てくるブルータスは、おそらく「brute(粗暴な)」という言葉からの連想で、ちょっとお間抜けで短剣をやたら振り回すような人物なのだそうだ。
実際のところ、「Et tu Macron」とシェークスピア風の言葉で検索してみると、ヒットするのはほとんど英語のページで、フランス語は見当たらない。例えば、マクロン大統領による「NATOは脳死状態だ」という発言(2019年、米国のシリア撤退とそれに続くトルコによるシリア侵攻に反応したもの)を風刺する英語のカリカチュアでは、「Trump」「Erdogan」「Putin」とそれぞれ記された3本の剣を身体に受けて地に倒れ瀕死状態にある、シーザーの恰好をした「NATO」が、新たなる剣を振りかざすマクロン大統領と思しき人物を前に「Et tu Macron?」と叫んでいる。しかし、フランスでも、裏切者をブルータスと比較することは当然ある。2016年、社会党のカンバデリス党首は、翌年の大統領選を前に自らの政治運動を立ち上げるなどあからさまな野心を見せていたマクロン経済相について「最後にブルータスみたいになってはならない」と述べた。ここには、無名のマクロン氏を大抜擢してくれたオランド大統領を裏切って、というニュアンスがある。発言者の頭には「Et tu, Brute?」ではなく、明らかに「Tu quoque mi fili」という言葉があり、いずれもシーザーの言葉であるというのに、上記の風刺画とはやや意味合いが違っていて面白い。
ちなみに、シーザーが凶刃に倒れたのは、紀元前44年3月15日のことであった。