フランスでは、宗教的な理由からクリスマスが圧倒的に重要な祭りだが、日本の正月のように家族で過ごすのが一般的だ。逆に元旦は、日本でのクリスマスのように、友人たちとパーティをしながら過ごすのだが、カウントダウン前後は盛り上がるものの、日本のようにテレビの特番があるわけでもない。また、翌日が休日でなければ、ほとんどの人が働いている。正月三が日などというお祭りモードはまったくない。2025年を回顧するだとか、今年の10大ニュースを選ぶなどといった番組や記事もほとんどない。カレンダー上で年が変わるだけだ。
これはなぜかと思うに、おそらくフランス人は、日本人ほどリセット好きではないのだろう。日本人にとっては、元旦とはリセット、すなわち心機一転の絶好の機会なのだ。筆者も若い頃には、今年こそは真面目に勉強しようとか、前年までの自堕落な生活におさらばしようとか、元旦には色々と抱負を抱いたものだ。今となれば、すべて虚しいものだったが。
このリセット好きというのは、日本社会全体の特徴であって、汚職議員なども、一旦選挙に通ってしまえば、簡単にリセットされてしまうようだ。神道では、禊により罪が浄められるという考えがあるが、あれこそが日本人のリセット好きを象徴するものだろう。よく見る異世界転生物語や、ひいては改元も、実は、このようなリセット好きが反映されていると見ることもできよう。
一方、フランスの主要宗教であるキリスト教は、原罪を教義の中心に据えている。原罪がリセットされるには最後の審判を待たないといけないし、リセット後も実は地獄行きかもしれない。従って、政治家などにとっては、禊が効きにくく、スキャンダルなどの痛手がより大きくなるのかもしれない。逆に、日本では、若気の過ちなどが禊が済んだと見做されれば、簡単に許される傾向があるようで、実は更生が簡単なのかもしれない。どちらがいいのか、筆者には分からないが、日本の方が気楽は気楽だろう。