ノンバイナリー代名詞「iel」の辞書入りが論争に

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主要な仏国語辞書「プチ・ロベール」が、最新版の見出し語として「iel」を採用した。新語採用の際によく起きる論争が生じている。
「iel」とは、「il(彼)」と「elle(彼女)」を合体させた3人称の代名詞で、「性別を問わずに人を指し示す」ために用いると説明されている。男女という性別に同一性を見出せないいわゆるノンバイナリーの人々の権利主張という文脈で、近年よく用いられるようになった言葉といい、プチ・ロベールの責任者を務めるシャルル・バンブネ氏は、存在する事象を記述するのが辞書の役割であり、見出し語としての採用はその言葉の当否を問うものではないと説明しているが、新語の出現の常で、「フランス語が破壊される」と懸念を抱く勢力は根強くある。与党LREM所属のジョリベ下院議員は、「我々の共通の言語を毀損する明らかにイデオロギー的な闖入」だと、アカデミー・フランセーズ(フランス語の純化を目的に17世紀に設立された機関)に陳情の書簡を送った。ブランケル教育相も、「インクルーシブな表記」(女性の存在が字面の上で明示されるような書き方の表記法)に未来はない、と述べて、この言葉に対する疑念を表明した。
この言葉への警戒感は、単なる新語への反発という以上に、いわゆるウォーク・カルチャーの「行き過ぎ」への懸念と連動している。その議論に立ち入る余裕はないが、「iel」という言葉には、補語の形容詞をとった場合に性数一致はどうなるのかというマイナーだが悩ましい問題があることをとりあえず指摘しておきたい。また、広く性別の表記のあり方ということを言えば、フランス語とは違い、日本語は、性別を明らかにしないまま人の話をすることが可能な言語である。「彼」と「彼女」という翻訳風の言葉はあるけれど、実際の運用においては、明らかなときは主語を言わなくてよいという特徴もあり、また「××さん」という男女兼用の言い方もあり、性別は容易に捨象できる。それでは、「iel」のような言葉はなくても済む言語を持つ日本の社会はノンバイナリーに開かれた開放的な社会であるかといえば、到底そのようには思われない。言語と社会の間には何らかの関係があってしかるべきだが、そこにあるのはそれほど単純な関係ではない。言葉を改良すると社会まで改良されると考えるのは少々おめでたくないか。