2021年10月26日 編集後記

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

ポーランドにおける司法の独立性をめぐりEUが分裂している。司法の独立はたしかに民主主義の根幹であり、裁判所がその時々の政権の思惑や世論の流れに合わせた判断を下すようでは困るが、その逆に、裁判官が政治的に偏向していて、特定のイデオロギーに基づいた決定を下すのも困る。フランスでは裁判官の左傾化が問題視されており、「被差別層」「社会的弱者」とアプリオリにみなされる移民・難民系の人や麻薬中毒者などが明らかな違法行為を犯した場合に、驚くほど軽い扱いを受けるケースが多いことが指摘されている。警察や憲兵隊がせっかく被疑者を逮捕しても、裁判所の判断ですぐに釈放されてしまい、行方が分からなくなってしまうし、再犯のリスクも防げない。一種の逆差別に繋がる過剰な人権的配慮により、最も居場 所や行動を把握しにくい人々による犯罪が文字通り野放しになり、法の前での平等が侵害され、治安の悪化に関する不満や不安を醸成して、極右勢力への支持が高まるという悪循環が起きている。これでは左派系の裁判官が望むのと真逆の結果ではないかと思うのだが、イデオロギーで行動する人々は現実を無視しがちだから、何が起きようと態度を変えようとはしない。仮に軽犯罪であっても、被害者にとっては人生を揺るがされるような深刻な影響が及ぶことだってあるのだが、「民主的裁判官」はどういうものか加害者の権利擁護のみに血道をあげており、それが人権擁護だと勘違いしている。それならば人権などよりむしろ治安を守ってくれ、と多くの有権者が考えたとしても当然だろう。地獄への道は善意で舗装されている、という格言が身にしみる。