ベルナール・タピ氏が死去、78才

実業家として、政治家として、またタレントとして幅広く活躍したベルナール・タピ氏が3日にがんのため死去した。78才だった。
タピ氏はパリ郊外の民衆層出身。60年代からテレビ小売業やレーサー、歌手など様々な職業に挑戦し、成功を目指した。70年代末頃から、事件に顔を出す上昇志向の強い山師的な評判を得た。80年代には「再建屋」として、倒産企業を安値で手に入れ、人員削減とコストカットを断行、次いで多角化により収入を増やした上で売り抜けるという手法により、いくつかの案件で成功を収めた。顔が売れた実業家として、自ら広告に出演することもあった。1986年にはプロサッカーチームのオランピック・ド・マルセイユ(OM)を買収し、テレビタレントとしても活躍し、大衆的な人気を得た。1993年にはOMがチャンピオンズリーグ初優勝を達成。現在もなおフランスのチームが優勝したのはこの1度限りで、特にマルセイユ市民の間ではタピ氏は今も根強い人気を保っている。
1989年にはマルセイユから総選挙に出馬し、極右「国民戦線(FN)」のジャンマリー・ルペン党首と対決、当選を果たした。タピ氏は反極右の立ち位置をその後も変わらずに維持した。ミッテラン左派政権は1992年から1993年にかけて、タピ氏を2回に渡り都市相として迎え入れたが、いずれも短期間で辞任。この入閣を境にして、数多くの事件で刑事責任を追及されるようになり、その後の人生は事件絡みで終始した。OMの八百長疑惑事件の有罪判決で数ヵ月間にわたり収監されたのを含めて、いくつかの事件で有罪判決を受け、公民権が停止される期間も長く続いたが、タピ氏は俳優やタレントなどとして活躍を続け、カリスマ性を失うことはなかった。
タピ氏絡みの最大の事件は「アディダス事件」だろう。タピ氏は、閣僚就任時に転売を委ねた当時の国営銀行クレディリヨネに不公正な取引をされたとして訴え、長い係争を経て4億ユーロの賠償金を得たが、その裁定を巡り不正があったことが後に判明し、タピ氏は賠償金の返還を命じられ、さらに、タピ氏も刑事責任を追及されるという、タピ氏の人生を象徴するようなジェットコースター的な経緯を辿った。この刑事事件裁判では第1審でタピ氏が無罪判決を得ており、検察側控訴を経て控訴審が進行中だった。この判決を待たずにタピ氏は死去した。
毀誉褒貶の半ばする人物ではあるが、死去の知らせを受けて政治家らはタピ氏を追悼するコメントを発表。マクロン大統領夫妻も、「野心とエネルギー、情熱により何世代もの国民の心に届いた人物」としてタピ氏を賞賛した。