2021年6月8日 編集後記

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中国の習近平国家主席が突如「愛される中国のイメージ作り」を目指す方針を掲げて注目されている。この情報がデマではないと分かっていなければ、思わず吹き出してしまうが、他国に対する恫喝や威嚇、報道に対する検閲、コロナウイルスの起源や人権侵害に関する情報隠蔽、露骨な複製、「中国すごい」と仰々しく喧伝するメディアキャンペーンなどで国際世論を動かせると考えているなら、あまりにナイーブであり、3000年の歴史を持つ国にふさわしい周到な戦略からは程遠い。欧州において最も親中的なハンガリーにおいてすら、中国の大学の欧州キャンパス設置に対して「トロイの木馬を入れるな」と反対運動が展開されている。これがハーバードやMITの分校設置計画なら、どこの国でも両手をあげて歓迎するだろう。米国ももちろん恫喝や威嚇、情報の隠蔽や操作を行う国だが、それとは別のところで、優れた思想や理念や科学技術や文化コンテンツを提供することで、愛されている。「愛される」ための最良の手段はやはり、露骨な自己宣伝とは関係のない文化コンテンツを提供することだろう。例えば我々はかつて香港映画に熱狂した。あの頃は本気で「中国すごい!」と思っていたのは筆者だけではないだろう。愛される文化は自発的・自生的に成長するものであり、中国共産党が検閲により絞め殺してしまった金の卵を産むニワトリが蘇るかどうかは未知数だ。そもそも全体主義独裁国家を愛することは普通の人間には難しい。下手に愛されることなど望まずに、経済力と軍事力で国際的影響力を強化し、「嫌われ、憎まれるが、ともかく強いので、無視はできない」国であり続けることが中国には似つかわしい気もする。