バレエ界の巨星として活躍したパトリック・デュポン氏が5日に急死した。急病のため死去したという。61才だった。
デュポン氏は1959年生まれ。幼い頃から抜群の身体能力を発揮し、古典バレエの教育を受けた。1969年にオペラ座バレエ養成校に入り、1975年にオペラ座バレエ団に入団。1980年には、ジョン・ノイマイヤーが同氏のために振り付けした「バツラフ」(ニジンスキーに着想を得た作品)にて、オペラ座最高峰のエトワールに就任した。1987年までエトワールとして、古典作品から、同時代のベジャール、ローラン・プティら同時代人の新作まで、幅広い作品で名声を得た。盟友でオペラ座バレエ養成校の校長を務めるエリザベット・プラテル氏は、「観衆の望んでいるものを感じ取り、観衆に応じて派手なショーマンにもなれれば、極めて真剣な表現を展開することもできる」驚くべき才能の持ち主であり、派手ではあるが気さくな人物だったと証言している。1988年に一旦オペラ座を離れてナンシー・バレエ団の監督に就任。次いで1990年にはヌレエフ(1938-93)の後任としてパリ・オペラ座のバレエ部門監督に就任。自らエトワールを務めて、オペラ座の看板として活躍したが、1997年には、カンヌ国際映画祭の審査員として練習を欠席した件で上層部と対立して解雇された。その後、2000年には交通事故で重傷を負ったが舞台に復帰。学校を開いて後進の指導に当たる傍ら、テレビ番組の出演などでも活躍していた。