2021年2月16日 編集後記

投稿日: カテゴリー: 編集後記

昔、小林秀雄は自らのランボー詩集の翻訳について、誤訳は「水の中に水素があるようにある」などと豪語 (?)したものだが、実際にはどうだったのだろうか。詩心も忍耐心もない筆者は、ランボーの原文と小林訳を突き合わせて誤訳を洗い出すような芸当はとてもできそうにないが、さすがにうまいことを言うものだと感心した覚えがある。開き直り方が天才的で、翻訳者の鏡(?)といえるかもしれない。ところで、昨年夏に開催される予定だった東京オリンピックは未来の水素社会の実現に向けた東京都の取り組みを披露する機会としても期待されていたはずだが、最近のオリンピック関連の報道では水素のエネルギー利用について触れているものが少ないように感じる。もちろん新型コロナウイルス対策や女性蔑視舌禍事件などの影に隠れてしまったのだろうが、そうこうしているうちに、欧州でも水素エネルギーの活用に関する取り組みが急激に進められている。オリンピックの開催自体は今の日本にとって良いことかどうかは疑わしい面もあるが、水素利用の分野で日本がリーダー的な役割を演じる野心が今も健在であるなら、それを世界に示す好機があればいいな、とも思う。ただし、日本社会における男尊女卑はそれこそ水の中の水素ほど多い。そちらが先に世界に披露されてしまったのは残念だが、今回の失敗を糧に、その方面でのミスは一つ一つ仔細にチェックしてつぶしておいて欲しい。