2021年1月12日 編集後記

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欧州連合(EU)は昨年末に中国との投資協定で基本合意した。両者の交渉は、新彊・ウイグル自治区における強制労働など、中国の人権侵害や非民主的な政策が障害となり難航してきたが、中国側が「国際労働機関(ILO)の強制労働禁止に関する2条約の批准に向けた持続的かつ継続的な努力」を約束したことで、妥結に至った。協定の締結はメルケル独首相の年来の悲願であり、ドイツがEU議長国を務めた2020年下半期の内に駆け込みで合意を実現させた。メルケル首相が そこまで中国との協定に固執するのは、もちろんドイツの輸出先として中国の重要性がますます大きいからで、特に自動車産業にとり中国市場での地歩を維持することは死活問題となっている。フォルクスワーゲン(VW)・グループなどは売上に占める欧州と中国の割合がほぼ同じになっているほどだ。中国が自国に不都合な約束を決して守らない国であることは誰もが知っているが、ともかく「努力する」という形だけの約束を得たことで、ドイツに率いられたEUは、お得意の外交手段である人権や民主主義を今回はさっさと括弧にくくって、中国と合意することを選んだ。
近日中に発足する見通しの米バイデン政権は、民主主義国家の連携による中国包囲網を形成することを計画していると言われてきたが、EUがいきなり抜けてしまったことで、包囲網にはすでに大きな穴があいた。EU側では、これを米国に盲従することなく、米中間で独自の立場を確保し、欧州の主体性を確立するための戦略だと説明する向きもあるが、多くの識者は米中対立の審判役を担えるような実力はEUにはないと見ており、こうした説明が本気ならば、それはあまりにナイーブだと言わざるを得ない。今のEUは米中双方の顔色をうかがうだけで、独立した第3極となるだけの活力を欠いている。その意味では、ロシアやトルコやイランほどの覇気もない。
しかし合意締結の実際の動機は、EUの主権擁護というよりも、ドイツの利益擁護に過ぎない。メルケル首相は数年前に100万人の難民を受け入れて、人道的な政治家のように振る舞ったが、あれはもちろん人道とは全く関係がなく、単にドイツの労働力不足を安価な労働力の導入で補うのが目的だった。今回は、中国当局の横暴な振る舞いに目をつぶり、かつてナチスに協力してユダヤ人を強制労働させ、最近もディーゼル不正で多くの市民の健康に害を及ぼした自動車メーカーの利益を最優先したが、一見正反対に見えなくもない2つの行動の根底にある狙いは全く同じだ。
EUとの合意は「中国の勝利」という見方が支配的で、これに勢いを得たのか、中国は新年に入って早速、香港で民主派50人を逮捕した。もちろん、スーパーマンもバットマンもスパイダーマンもいない現実世界においては、前科だらけの大手自動車メーカーの大きな利益の前で、人権だとか民主主義とかは霞のようなものだ。誰も霞を食って生きるわけにはいかない。筆者もメルケル首相の選択を批判するつもりは毛頭ないし、むしろ首相の冷徹な現実主義には常々感心している。政治家たるもの、こうあるべきで、あっぱれである。ただし、ドイツにもEUにも、今後は国際舞台で決して人権だの民主主義だのと白々しく主張して欲しくないと思うだけだ。陳腐な言い方だが、我々はもう二度と騙されない。