2021年1月5日 編集後記

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欧州連合(EU)がいよいよ英国抜きで再出発することになった。経済面での打撃もさることながら、防衛・安全保障の面で双方が弱体化する恐れがあり、そうだとすると、主権を回復して、より強い立場を確保したいという英国の望みにも逆行する結果になりかねない。その一方で、これまでEUの政治統合に抵抗し、足を引っ張ってきた英国が抜けたことで、EUは結束が固まるという見方もある。EU内には南北間の対立があるが、南欧諸国への支援に反発する北側の加盟国(オランダや北欧諸国)はボス的存在だった英国がいなくなったことで、発言力が低下するとみられる。ドイツも長らく北側のリーダーとして振る舞ってきたが、昨年中に大型の復興計画とEUとしての共同起債を認めることで、南欧との連帯に配慮する姿勢を示した。英国の外交は、伝統的に独仏間の協調に横槍を入れて自国の影響力を維持するというものだが、離脱に伴い、独仏の連携もスムーズになりそうだ。ただし、英国が抜けた上に、イタリアの地位が低下 し続けていることで、ドイツが中東欧と南欧での支配力を増し、EU全体のリーダーとしての地位を強化する可能性には不安もある。第二次世界大戦を招いたドイツ独特のナショナリズムと影響圏拡張がいつまた復活するかわからないからだ。
もちろんドイツが欧州で新たな戦争を即座に開始する可能性はゼロに近い。しかし、例えば20世紀のドイツの代表的哲学者だったハイデガーの「黒いノート」が出版されるに連れて、ハイデガーがいかに確信犯的なナチスのイデオローグだったが明らかになってきた。 ハイデガーは主著『存在と時間』の出版の100周年あたりを目処に、米国による世界支配が終焉し、ナチスが目指していたような世界が実現することを予想した上で、それに合わせて「黒いノート」の刊行のスケジュールを周到に計画していたという。ハイデガーが、 特にフランスの思想界による熱狂的な受容を通じて、20世紀後半の世界の思想界に及ぼした圧倒的な影響力を考慮すると、これを単なる妄想と笑い飛ばすことはできない。驚くべきことだが、ハイデガーはフランスでは今でも20世紀最大の哲学者との評価が揺るがず、その思想を学ぶことは、高校や大学の哲学の授業で必須となっている。
ドイツが危険な方向に暴走するリスクを常に秘めた国であることを忘れずに、これをコントロールして行くことがEUの使命の一つだが、 英国が抜けたことで、その役目がフランスの肩にいっそう重くのしかかることになりそうだ。しかし、戦後に思想的にはドイツの支配下に入ってしまった感のある今のフランスに、この役目を引き受けるだけの胆力があるだろうか?『存在と時間』の出版100周年を数年後に控えて、まことに不安な状況である。