年末の訃報:ピエール・カルダン氏ら

ファッションデザイナーのピエール・カルダン氏が12月29日、入院先のパリ郊外のアメリカンホスピタルで死去した。98才だった。カルダンさんは1922年にイタリアで生まれた。イタリアのファシスト政権を逃れた両親と共にフランスに移住したイタリア移民で、世界的にフランスを代表する顔となったイタリア移民として、同世代の俳優のイブ・モンタン(1921-91)などに通じる存在でもある。戦前よりデザイナーとして活躍を始め、クリスチャン・ディオールなどでの経験を経て、1950年に自らのメゾンを設立。以来、幾何学的なシルエットを強調した奇抜なデザインとビニールなど新素材の多様により、新時代を体現するファッションデザイナーとして頭角を現した。1957年からは松本弘子(1936-2003)をモデルに起用するなど、国際的なモードの新局面を開いた。世界展開の戦略と並行する形で、ライセンス事業の展開をいち早く進めて、ファッションデザインの裾野を広げ、事業機会を拡大することに成功。この戦略は陳腐化を揶揄されることもあったが、実業家としての才覚もあって、ピエール・カルダンは今日まで、大手資本の傘下に入ることなく、独立性を保つことに成功してきた。ピエール・カルダンは上場企業ではなく、会計は開示されていないが、カルダン氏本人の資産額は推定6億ユーロで、フランスで第141位の資産家とされている(2017年のシャランジュ誌ランキング)。
12月31日には、俳優・演出家のロベール・オセイン氏が呼吸器系の疾患のため死去した。93才だった。オセイン氏は、ウズベキスタン人の父、ウクライナ人の母の下に1927年にパリで生まれ、戦後にパリ左岸サンジェルマン界隈で演劇人として頭角を現した。数多くの映画に出演し、主演俳優としては、1964年に発表された「アンジェリック」シリーズの夫役で大衆的な人気を獲得した。1970年代以降は主に演出家として活躍。大予算の巨大スペクタクルを、スポーツ競技場のような大規模な会場を選んで上演する手法を確立。迎合的だとの批判も受けたが、大衆的な人気を掴むことに成功した。
12月30日には、ジャズピアニスト・作曲家のクロード・ボリング氏が死去した。90才だった。ボリング氏は1930年生まれ。戦後にサンジェルマンデプレ界隈で、若年者ではあるがボリス・ヴィアンなど当時のジャズ界の第一人者らと親交を結び、狭義のジャズに留まらず、ラテンやラグタイムに至る幅広いスタイルの音楽を吸収した。1960年頃から映画音楽の分野で数多くの成功を収めた。「ボルサリーノ」(1970年)の軽やかなラグタイム風の旋律と演奏は広く知られている。