2020年10月27日 編集後記

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人が何かを信じる、というのは不思議なことで、我々は実に多くのことをたいした根拠もなしに信じ込んで生きている。デカルト的な 懐疑主義に基づいて自分の信念の根拠を根本的に探る人などは稀だろう。そもそも、デカルトというフランスの哲学者がそのような考え方を提起した、ということ自体、単に学校で習ったから鵜呑みにしているだけで、実際にデカルトの『方法序説』を読んだことがない人は多いに違いない。科学的知識にしても、我々は進化論、一般相対性原理、不確定性原理、不完全性定理、非ユークリッド幾何学などを正しいと思っているが、その根拠を自分でしっかりと検証した上で信じている人はさほど多くないはずだ。いわゆる民主主義の価値観である自由や平等などについても、良く考えれば科学的な根拠は乏しく、単に特定の支配システムにとって好都合なだけではないかと思うが(もちろん根拠付けのための理論的な試みは多数ある)、欧米や日本で生まれた人の大半はそれを素直に受け入れている。中世の欧州で生まれた人が全員自動的にキリスト教的な世界で生きる以外に選択肢がなかったのと同じだ。我々の価値や信念の体系は 実は由緒の怪しい雑多な盲信の組み合わせで成立していると言ってもいいだろう。イスラム教徒が預言者の風刺画に憤るように、民主主義者もその主張や価値観を非現実的な理念として茶化されると憤る。どのような信念の体系にも一定の許容範囲というものがあり、そこからはみ出る相手には容赦がない。「表現の自由」は一定のコンセンサスを共有する空間でしか機能せず、常に条件付きの自由に過ぎない。実際にはどのような「信」の体系も無根拠であるだけに、いっそうの盲信・妄信・狂信を招きがちな宗教=イデオロギー=おとぎ話に過ぎないし、だからこそ一旦衝突が起きると、明確な勝者がない泥仕合になってしまう。
教員に対するテロ襲撃事件を機にフランスがイスラム主義対策を強め、世俗主義と表現の自由を擁護する姿勢を打ち出したことは、アラブ諸国をはじめとするイスラム圏の強い反発を招いている。マクロン大統領の肖像を焼き捨てる象徴的な抗議行動を通じて、西欧型の政治システムとイスラム主義は水と油で相容れないことが改めて鮮明になったが、どちらが最終的に勝利するかは分からない。どちらかが絶対に正しいというわけではないし、正しいものが勝利するとも限らない。(ただし、スマホやインターネットを上手に活用しているイスラム主義者に少し考えて欲しいのは、こうした科学技術を生んだ世界観と中世以来のイスラムの世界観が矛盾しないかどうかという点だ。どう考えているのだろう?)単純に人口比だけを考えれば、イスラム主義が将来的に勝利しそうな気もするが、少数派こそが強い社会的影響力を発揮するという社会心理学の知見に従うならば、西欧型思想が一部のエリートを介してイスラム世界にも浸透する可能性もあるだろう。生きているうちに帰趨を確認できるかどうか分からないが、老後の楽しみの一つになりそうだ。