歌手のジュリエット・グレコさんが23日、南仏ラマチュエル市で死去した。93才だった。
ジュリエット・グレコさんは1927年生まれ。母親はレジスタンスの闘士で、グレコさん自身も戦争中にナチス・ドイツにより逮捕され、収監された経験がある。終戦後には、知識人が集まるパリ左岸サンジェルマンデプレ地区の自由な気風の中で、そのカリスマ性から、芸術活動に入る前から有名人となった。地下室を借りてコンサートなどを開く中で、この地区に集まっていた知識人や芸術家らと親交を深めた。歌を始めたのは、哲学者のジャンポール・サルトルに勧められたのがきっかけで、サルトル自身も歌詞を提供、ジョゼフ・コスマなど作曲家も協力した。グレコさん自身は、アーティストの道を進んだ理由を、自分が当時既に有名人となっていて、その名前に見合った何事かを成し遂げたいと思ったからだと説明している。その後、女優としての活動も並行して進めたが、歌手として、レオ・フェレ(「ジョリ・モーム」)やセルジュ・ゲンズブール(「ラ・ジャバネーズ」)など錚々たる顔ぶれから楽曲の提供を受けて、芸術性と大衆性を兼ね備えたシャンソン界の女王として君臨した。舞台では黒い衣装と独特のジェスチャーで独自の世界を作り上げたが、語りと歌を境目なしに行き来するスタイルの確立に最も貢献した歌手ではないだろうか。