2020年5月26日 編集後記

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新型コロナウイルス対策の外出制限・封鎖措置により影響を受けた分野の一つに宗教・信仰があるといわれる。教会など宗教施設・礼拝施設が閉鎖されたことで、信者が苦しみ、信教の自由が侵害されたという嘆きや批判の声があがった。ただし、韓国やフランスなど複数の国で新型コロナウイルス感染拡大のきっかけとなったのは、宗教団体の集会だったこともあり、当局としては慎重にならざるを得ないのは当然だろう。筆者は信仰とはまるで縁のない罰当たりな人間なので、信者の苦痛なるものは実感できないが、例えばほかの分野を考えてみると、競技場が閉鎖されてサッカーが、コートが閉鎖されてテニスが、プールが閉鎖されて水泳が、体育館が閉鎖されてバスケットボールが、ゴルフ場が閉鎖されてゴルフが、それぞれできない状況で、スポーツ好きがどれほど苦しい思いをし、ストレスを溜めているかは、少し想像できる。もちろん、図書館や書店が閉まっていても本好きは家で読書していればいいし、映画館が閉まっていても映画ファンは家でビデオをみて、コンサート会場が閉まっていても音楽好きは家で音楽を聞いて、それぞれに楽しめるのだが、信仰というものはどうやら、家で祈ったり瞑想したりすればいい、というものではないらしい。もちろん、一人でジョギングをしても、サッカーができないフラストレーションは解消しないということは、スポーツマンではない筆者にも分かる。生き延びるために信仰が必要だという人々がいるのだから、宗教施設の再開に積極的に反対する理由もないが、信者が数カ月間の鬱積を晴らしたいために3密の愚をおかさないことを祈りたい(信仰のないお前は何に祈るかの、というツッコミがありそうだが…)