2019年11月12日 編集後記

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パリなどフランスの諸都市で10日の日曜日に「イスラモフォビア(イスラム恐怖症)に反対する」デモが実施され、1万 3000人以上が参加したという。いろいろな意味で嘆かわしいことだ。
ライシテ(政教分離)の専門家である哲学者のアンリ・ペーニャルイス氏が指摘しているように、「イスラモフォビア」 という言葉はイスラム主義組織「ムスリム同胞団」が広めた戦略的な表現で、イスラム教に対する一切の批判を封じる ことを目的としている。同氏は最近の講演でも、イスラム教徒に対する差別にはもちろん反対だが、ライシテの見地か らは、イスラム教を含むあらゆる宗教に対して批判的態度をとる正当な権利があり、「イスラム教を嫌うこと」自体に は何の問題もないと説明して、左派勢力やイスラム教信者団体などから「イスラム差別主義者」だとの批判を浴びた。 これをみると、イスラム主義者の狙い通りに「イスラモフォビア」という表現による批判封じ込めが絶大な効果を発揮 していることが分かる。
テロ事件の頻発も手伝ってイスラム教に対する風当たりが強いことも、他人に迷惑をかけずに普通に暮らしているイス ラム教徒に対する不当な差別があることも事実であり、そうした差別に抗議することはもちろん正しい。デモ参加者の 多くは善意の人だと思いたいが、「イスラモフォビアに反対」というスローガンを掲げたことで、結果的にはイスラム 主義の片棒を担ぎ、フランス共和国の基本原理であるライシテに対する反対運動を展開したに過ぎないことをきちんと 自覚しているかどうかは疑わしい。どんなデモであれ、それが孕むイデオロギー的な意味合いについて事前に政治的・ 思想的な吟味を加えずに安易に参加してしまえば、悪意ある戦略の手先になってしまう。ペーニャルイス氏は上記の理 由から自分はデモには参加しないと予告していた。哲学者や思想家や専門家でなくとも、すべての人にこのような深慮 が必要だ。政治でも宗教でも、ナイーブであることは常に最悪の選択だからだ。