2019年11月26日 編集後記

投稿日: カテゴリー: 編集後記

ローマ法王フランシスコが長崎と広島を訪れて、核兵器の廃絶を呼びかけた。10年ほど前に、オバマ米大統領もプラハ 演説で核廃絶を呼びかけ、これが評価されてノーベル平和賞を受賞した。世俗の世界の最強リーダーだったのだから、 核廃絶の実現に最も近い場にいたはずだが、オバマが実際にしたことは北朝鮮の核開発を静観することだった。
核兵器が初めて使用された1945年に生まれた人々はいま70代の中頃だから、いまや世界の大多数の人は「核兵器のない 世界」を知らない。仮に核兵器保有国のすべてが協調して核廃絶を決めたとしても、犯罪組織やテロ組織が核兵器を持 てば核兵器使用の脅威はいっそう強まるだろうから、「核兵器のない世界」は訪れない。
それなら「核兵器のない世界」は絶対に実現しないのかといえば、そんなことはない。振り返ってみれば、米ソが原爆 の開発に成功する以前には何十世紀もの長い長い「核兵器のない世界」があったのだ。わずか80年ほど前まで実際に存 在していたその「核兵器のない世界」においては、人は実にお手軽に戦争を繰り返していた。その帰結が核兵器の開発 であり、広島と長崎の悲劇だったのだ。
かつての「核兵器のない世界」では、何世紀にもわたりキリスト教が欧州とその植民地の南北米大陸を支配した。アジ アやアフリカへの植民地支配の拡大においてもキリスト教はそれを正当化するイデオロギー的な支えとして機能した。
キリスト教的な秩序が支配していたこの「核兵器のない世界」がローマ法王フランシスコの願う「真に平和な世界」な のかどうかは分からないが、そこにも美しい言説だけはすでにふんだんに溢れていた。戦争と殺戮は美しい言葉の背後 で続いた。10年後には誰がどこで核廃絶のための美しい演説を行うか知らないが、いまから楽しみだ。