2020年1月14日 編集後記

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米国の初代大統領だったワシントンは子ども時代に父親が大事にしていた桜の木を斧で切ってしまったが、「僕がやり ました」と正直に告白したので、父親もこれを高く評価して許した、という逸話がある。これは伝記作者の創作に過ぎ ないらしいが、最悪の危機的局面において誠実な対応を選ぶことが事態の好転を招くということは確かにある。イラン 当局がウクライナの航空機を誤射により撃墜してしまったことを認めた(最初に否認したのはいただけないが)ことは、 国内では新たな抗議運動を招いているが、国際的にはむしろ評価の改善をもたらし、米国との紛争による湾岸危機のデ スカレーションに繋がるとの見方が出ている。民間機の誤射撃墜はあまりに酷い話しで、決して許されることではない し、被害者はまことに気の毒というほかないが、旧ソ連や北朝鮮のような国であればどんなに明らかな証拠があっても 決して認めることがないだろうミスをイランがともかくも認めたことで、まだこの国は対話が可能な相手だとの認知が 成立したのは不幸中の幸いと言えるかも知れない。イラン国内では最高指導者ハメネイ師をはじめとする指導部に対す る退陣要求も強まっており、昨年の抗議運動を力で封じ込めようとした体制側の今後の対応も興味深いが、内政問題は イラン人自身が決めるべきことだから置いておくとして、まずはイランを取り巻く国際的な緊張の緩和を期待したい。 それにしても、イランのイスラム教指導者らは、今回の事態を彼らの全能の神との関係ではどのように合理的に理解し、 説明しているのだろうか?全てはイランに圧力を及ぼした米国のせいだとの主張も出ているが、そうだとすると米国と いうサタンにいとも簡単に嘲弄されたことになる神の立場がなさそうな気もしてくるではないか。イスラム教徒でない 人間には他人事(他神事?)ながら信者がこういう精神的危機をどうやって切り抜けるのかは気になるところだ。