共和党の大統領候補指名、フィヨン元首相が圧勝

共和党主催の大統領候補選びの公選で、決選投票が28日に行われた。フィヨン元首相が66%を超える得票率を達成、大差を付けてジュペ元首相を下した。公認候補の指名を得たフィヨン氏は同日夜、すべての勢力を結集して大統領選挙に臨むと述べて、ジュペ元首相の支持者らに対して和解と協力のシグナルを送った。
投票者数は430万人を超え、1週間前の第1回投票よりも多かった。フィヨン元首相は、第1回投票で敗れた候補のうち、サルコジ前大統領、ルメール前農相、ポワソン候補から支持を得たが、自身とこれら候補の得票率を合算した得票率をほぼ達成。保守層の支持を手堅く確保し、大差で勝利を収めた。対するジュペ元首相は、フィヨン氏の「反動」的な姿勢を攻撃し、中間層の支持獲得に努めたが、劣勢を挽回することはできなかった。ジュペ氏は同日夜、今後はボルドー市長としての職務に専念すると述べて、敗北を認めたが、フィヨン候補のキャンペーンに協力するとは言明せず、無念さをにじませた。
共和党と中道勢力の大統領候補となったフランソワ・フィヨン氏は1954年生まれの62才。大学5年次卒業の資格を有してはいるが、国立行政学院(ENA)卒業の典型的なエリートコース(決選投票を争ったジュペ元首相やオランド大統領などはENA出身)は歩んでおらず、たたき上げの政治家として頭角を現していった。
ドゴール大統領にあこがれて保守政党に合流、1981年の総選挙で27才と当時最年少で地元のサルト県から下院議員に当選。それ以来、地方及び国政の議員職を歴任し、足場を固めていった。国家主権尊重派として保守系大物政治家の故フィリップ・セガン(会計検査院長官など歴任)と行動を共にし、1992年には、マーストリヒト条約(ユーロ導入を盛り込む)の是非を問う国民投票で反対運動を展開し敗れたという過去もある。自由主義的な立ち位置ではセガン氏と異なり、セガン氏には必ずしも追随せず、同盟相手は数度にわたり変わっている。1993年のバラデュール内閣で高等教育・研究相として初入閣。数度にわたる閣僚経験を経て、2002年から2004年にかけてはラファラン政権の社会問題・労働相として、第1次年金改革をまとめた。フィヨン氏はこの成果を特に重視しており、サルコジ政権で首相を務めた(2007-2012年)時も、自らの成果として第2次年金改革を掲げている。