スタール夫人のコペ城館、「財団」と子孫が対立

スタール夫人(1766-1817)の居所だったコペ城館で、夫人の末裔と「財団」がバトルを展開している。夫人の子孫らは「財団」による乗っ取りを糾弾、司法当局に提訴を行った。
スタール夫人はナポレオンの専横を批判してパリを追放され、レマン湖畔のスイス側の町であるコペの城館に居を移した。夫人は「文学論」(1800年)においてロマン派文学の理論的支柱を築き、国際派として「コリンヌ」(1807年)などの小説、「ドイツ論」(1810年)などの理論的著作も残した。
コペの城館は以来、子孫であるドーソンビル家が代々居住しており、1924年には居室の一部がスタール夫人博物館として公開されるようになった。2014年に死去したオトナン・ドーソンビル侯爵は財団組織を設立し、以来、相続人らは所有権のみを保有、城館及び地所の用益権は財団に移転したが、財団は建物改修などの工事を独断で決め、所有者である相続人らに支払いを求めるようになり、両者の関係は悪化。財団には相続人らの代表は一切参加しておらず、相続人らは、加齢のため判断力を失っていた先代から財産を詐取したものだとして、財団の関係者らを訴えている。