シモーヌ・ベイユ元保健相が死去、妊娠中絶法可決に尽力

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妊娠中絶法を作成したことで知られるシモーヌ・ベイユ元保健相が6月30日、パリで死去した。89才だった。
シモーヌ・ベイユ氏は旧姓をジャコブといい、16才だった1944年にユダヤ人として家族で逮捕され、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に送られた。父親と弟は別の収容所で死亡、母親は同じ収容所で病没し、姉と2人だけが生き残った。終戦後に法学部を卒業、法務省の官僚となり、刑事施設の管理などの任に当たった。1974年に発足したジスカールデスタン政権(シラク内閣)には保健相として初入閣、妊娠中絶法の成立に尽力した。当時は議会では保守的な空気が強く、妊娠中絶を「ガス室」による殺人になぞらえてベイユ氏を非難するような論調もあったが、ベイユ氏は、非合法の中絶の環境が劣悪であり、女性に危険が及ぶことを粘り強く主張し、時には言葉を荒げて反対派に応酬し、信念のある強い女性という印象を広く国民に与えた。保健相に1979年まで留まった後、初の欧州議会選挙に中道勢力を率いて出馬して勝利を収め、欧州議会の初代議長に就任。ベイユ氏は、自らの収容所体験もあり、平和に貢献する欧州の建設を熱心に推進し、この点でも生涯、その信念を貫いた。ベイユ氏はこの数年、好感度著名人ランキングで女性トップの座を維持するなど、国民から広く尊敬を受けている人物として知られていた。