大統領当選に迫ったマクロン候補

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大統領当選にあと一歩に迫ったエマニュエル・マクロン候補は39才。第5共和政では最年少だったジスカールデスタン元大統領(在任期間1969-1974年)の48才を下回り、就任時で30代の若い大統領が誕生することになる。
左右によらずに「改革派」を糾合しようとするマクロン候補は、保守から分かれて中間層の糾合を狙い、大統領当選の道を開いたジスカールデスタン元大統領と似たところがある。ただし、下院議員や市長などの議員職をこなしたジスカールデスタン氏とは異なり、マクロン候補は一切議員職を経験しておらず、選挙に出馬するのは今回の大統領選が初めてという、極めて異色の候補となった。
マクロン候補はアミアン市生まれ。パリの著名高校アンリIVを卒業したが、名門の高等師範学校(ENS)の入学試験には失敗している。その後、大学に籍を置く傍ら、シアンスポからENA(国立行政学院)というよくある出世コース(ちなみにオランド現大統領と同じ学歴)を進み、財務省の財政監査官(2004年)を経て、2008年には民間の投資銀行に入行、企業買収の顧問として実績を上げた。年上に気に入られるという「特殊能力」に定評があり、政治の世界に関わるようになったのは、財政監察官時代の上司だったジュイエ現大統領府長官の仲介で2006年にオランド現大統領と出会ったのが始まりだった。2012年の大統領選挙ではオランド候補の選挙参謀として参加、オランド大統領の就任と共に大統領府顧問となり、次いで2014年8月には内閣改造に伴い経済相に抜擢され、一般にその名が知られるようになった。
マクロン氏は経済相として、規制緩和に軸足を置いた改革路線を推進。社会党内の左派勢力と衝突する場面も多かった。2016年に入ってからは、大統領選出馬の意欲を取り沙汰されることが増えたが、8月になって経済相を辞任。その後、政治運動「アン・マルシュ」(イニシャルが本人と同じE.N)を立ち上げ、いわば政界のスタートアップ企業のような格好で、大統領選への準備を進めてきた。早くからマクロン氏を担ぐことを決めた社会党の大物、ジェラール・コロン氏(リヨン市市長)をはじめとして、マクロン氏に合流を決めた人も多く、中道野党MODEMのバイルー党首の合流(2月)は、「左右の改革派を糾合する」というマクロン氏の主張の具体化を印象付ける転回点の一つとなった。政党の足場がないマクロン候補だけに、6月の総選挙で多数派を確保できるのか、挑戦が続くことになる。
夫人のブリジットさん(2007年に結婚)はマクロン氏より25才年上で、アミアン時代の国語の先生だったのは、「年上キラー」の片りんをうかがわせる有名な話である。